2013-07-18

参院選雑感1

今週末は参議院議員選挙なのでその辺りの雑感を少し。

選挙については衆・参・地方を問わずあまり行かなかったことはありません。
投票の仕方としては積極的な支持政党は無いので その時々の世の中の風向きに倣うときもあれば、そのときどこかの政党に強い追い風が吹いていても自分の住む選挙区の顔ぶれを見て風向きと関係ない投票をするときもあります。また 顔ぶれにあまり好感を持てないときは白票もしばしばです。

どこかのアンケートで投票に行かない理由として「自分の1票でどうにかなるわけでもない」と言うのが結構目立つ回答だったそうで、実のところ私も考え方としてはかなりそう思っています。

しかし うっかり自ら乗ってしまったり流れ弾をかわしきれずに巻き込まれた居酒屋談義で「投票にも行かない奴が世の中のことに文句を言う権利は無い!」 なんてことを言われて内容以前のところで発言に蓋を被せられるのが一番面白くないんですね。

なので かなり消極的な理由ではありますけど
この屁理屈ディフェンスを無効化するためにもなるべく投票には行くようにしています。

幸い過去幾度かの引越しでも投票場はいつも自宅から徒歩5分圏内でした。
何年かに一度、行って帰って30分にも満たない手間を惜しむことで 現在や将来の自分にも降りかかるかもしれない社会問題について文句の一つも言いにくい立場に自らをしてしまうのがとにかく嫌なので投票には行きます。

若い皆さん。投票している年配者の皆が皆 社会のことを本気で憂いて誠実な一票を投じているわけではないと思いますよ。それどころか惰性や縁故だけで盲目的に投票している人も決して少なくない気もします。
少なくともそんな人たちから「投票にも行かない奴が世の中のことに文句を言う権利は無い!」なんて言われて発言する前から口を塞がれたくないじゃないですか。


ところで「投票にも行かない奴が世の中のことに文句を言う権利は無い!」はそもそも間違えているとも思うんです。

若い人が投票しない、投票者が年配層に偏っている、だから政治家は自らに投票してくれる年配層に向かった政治をする。
政治コメンテーター的な人からよく聞く論調で 実際にはそうかもしれません。

しかしこれを正論としたり実際の行政の根拠としてはいけないだろうと思うんです。

仮に「自らに投票してくれる」人たちが良い意味での積極的な政治参加者の層だったとしても 世に中には自分たちの層の代表を政治の世界に送り出せなかったり、出せたとしても分母集団が小さすぎて当選できなかったり、当選できても実際の政治に影響力を発揮できなかったりする層は少なくないと思います。
重度でレアな障害を持つ層だったり、参政権の無い外国籍だったり、参政権という意味では子供たちだってそうでしょう。社会全体の中にはもともと政治参加が出来なかったり困難な層があるのだと。

だから投票者が「若い人が投票しない、投票者が年配層に偏っている、」だったとしても投票によって当選した政治家は投票していない人も含めた社会全体が上手くいくようにしなければいけない責務を負っているのだと思います。

仮に多くの人が政治に失望して投票率10%、組織票のみの選挙だったとしても 当選者は投票していない人も含めた社会全体の政治をしなければならない責務を負っていることに変わりはないのだと。

奇麗事かも知れませんが影響力のあるメディアで発言場所をお持ちの政治コメンテーター的な人には 現実論とは別にそんなことも語って欲しいと思う今日この頃です。