2011-08-30

新総理(20110830)

今日 新総理が決まるそうです。
その手腕については専門家諸氏にいろいろ言われていますけど、市井の私としては
昨日より今日、今日より明日がより幸福を感じられる世の中にしていただけることを願うばかりです。

ところでこんな風に評価してしまうのは失礼かもしれませんが
私が同時代の大人として見てきたこの2~30年間の政治状況は
誰が総理であろうと何大臣であろうと、与野党議員全員が「国会座」一座の役者さんで
一座として「国会」という演目の興行をしているんじゃないかと思えてしまっています。

議会制民主主義として与野党を分けていても
実は一座が演目の中での二枚目と悪役を分けているだけではないかと。

役者は二枚目が文字通りの二枚目を演じるときもあるし
さすがに興行としてはいつもそれでは飽きられてしまうので
それまで強面の悪役や三枚目イメージが定着した人が
ときどき主役を演じて味のある芝居を見せてくれたりもする。

でも「役」は演目に必要な役を分けているだけで
役者は皆一座の座員、
楽屋に戻れば木戸銭は一座の皆で分けあっている。

ここで日々に疲れた私たちの溜飲の下がる痛快な芝居や感動の舞台を見せてくれれば
我々も明日への活力を生んでくれた対価の木戸銭は惜しくないんですけど
どうも芝居が下手なのか台本が悪いのか
木戸銭分の満足感が無い状態が長く続いているように思います。

でも しかし。そうは言っても、

私は「自分」というものを見せてお客さんの前に立ち、その評価を直接受ける人。
物事の矢面に立つ人をただ悪者に言うというのはチョッと気が引けるタイプです。

実は「国会座」の役者諸氏には選挙がありますから
本当の劇団や役者さんと同じように
自身の評価にはそれぞれの生活がかかっている と言えると思うんです。

一方 芝居をするためには劇場が必要で
「国会座」は国会議事堂という劇場でしか公演できない決まりです。
民主主義と言う誰も否定しがたい大命題の「決まり」に守られたものは強いでしょう。

「国会座」の脚本家や役者やスタッフがどんなステージを作りたいと思っても
劇場側に
「その大道具は入りません」
「その照明はありません」
「その装置は消防法の規制でできません」
「客席がボロでも直す予算がありません」
とか、

つまり劇場側はやりたくないことはやらない、面倒なことはしない。
民主主義のコストで運営されている劇場は
「より良いものを作らなければならない」と言う命題は
自分の生活がかかったものとしては負っていないですから
やれない理由はいくらでも思いつくでしょう。

しかし「国会座」は必ず定期的にそこでしか公演できない。
定期的な公演が行なわれる以上必ず木戸銭が集められ
そこから必ず使用料が劇場に支払われる。
つまり政官の力関係はこういうことだと思います。

今日決まる新総理はジャンボ鶴田ファンだそうです。
格闘技のスタイルとしてはUWFに最も魅力を感じた私ですが
同時に選手としては最も「打たれ強さ」を持っていた点で
ジャンボ鶴田が最強だったと思っている人でもあります。

現在の政官の力関係ではちょっとやそっとで何がどうなるとも思えないんですが
そんなジャンボ鶴田ファンの新総理に
ぜひより良い世の中を作ってくださいとひっそり応援しています。

2011-08-20

ペーパーセメント(20110819)

10年ぐらい前までは編集やデザインの現場では
No.1必需品だったペーパーセメント。

しかし 特に紙面の編集がほぼ完全にPCで行なわれるようななったここ5年ぐらい(もっと前からか?)の間に
そういう職場に入った若い人たちは
見たことも聞いたこともないものになっているかも知れません。


如く言う私もこんなものを持っていたことをすっかり忘れていましたが
今回チョッと普通の糊を使いたくないなぁ という用があって
どうしようか想いを巡らしていたらふと思い出し
7~8年ぶりぐらいで机の上の道具として再登板させてみました。

ペーパーセメントは貼っても剥がせる仮止め用の接着剤で、
いわゆるポストイットの糊の部分の接着剤です。

昔は本や広告の紙面構成は専用の台紙にイラストや文章のコピーを貼ったり剥がしたりしながら 位置関係を考えていましたのでこの糊が重宝されていました。

そしてもう一つこの糊の良いところは、紙にほとんど染込まないので
普通の糊では糊を着けた部分がふやけてナミナミになりますが
この糊ではそういうことが起こらず
また非常に薄塗りができるので今回の用に都合が良かったんです。