2013-07-23

サンプラー用フットスイッチ(20130711)

今回の工作はまるで手探りで、実際に物をあてがいながら切ったり足したり、迷いながら作っていたので工程の写真は撮っていませんでした。
作り終わった後「こんな風に使います」のデモ用に動画を撮ったのでこのエントリーの写真はそこからの切り出しです。

テーマはBOSS製サンプラーRCシリーズのペダルを外付けにしたいと言うものでした。

コンパクトエフェクト2つ分サイズのRCの2ペダルシリーズは本来目的のサンプリング機能が充実しているばかりか 簡易ミキサーにもなりますし電池駆動でサイズ的にも持ち歩きし易いのでお気に入りの機材です。

他のコンパクトエフェクト同様に足元に置いてペダルを踏むことで操作するのが基本的な使い方で これはこれで譲れない部分ですが、出来れば手で操作したいスイッチ類も多く そういったスイッチ類とペダル部分を分けたい というのがこの工作の始まりです。

外部スイッチについては背面に汎用の外部ペダル用の端子があるので どうしてもそうしたいときはそれを使えば良いのかなとずっと思っていました。
しかし 実際につなげてみると 手で操作するスイッチ部分の一部がペダルでも操作できるようになるだけで私が期待していることとは真逆の操作性でこれ以外の使い方は出来ないようです。

じゃぁ分解して ペダルの下のスイッチを取り出すか 逆に手操作部分のスイッチ類を基盤ごと取り出して 別のケースに入れるかと思いRC-30のケースを開けてみました。
すると。。。ペダル下のスイッチも手操作のスイッチ類も小さな集積回路がぎっしり貼り付けてある基盤に直接ハンダ付けされているじゃないですか。

ハンダを取って外そうとしてもその熱でスイッチ付近の集積回路が壊れること必至です。

しばし逡巡。。。

要するにケースの中身は弄って欲しくないということなのね。

OK!分かった!もっとアナログで行きますよ。

と そんな経緯で出来上がったのが今回の工作です。




実際の動き方は動画で。



ところでこの1号機は手探りで作りましたが
実際に作ってみると  持ち歩き用としてもうチョッとパーツを少なく全体を小さくしたり 必要な部分の強度を足したりと 実用品としてもう少しブラッシュアップ出来そうなので また時間が出来たら2号を作ってみようと思います。



参院選雑感2

参議院議員選挙は与党勝利で終わりました。
これで衆参両院の「ねじれ」が解消されたとかで今後は政治は良い社会を作りやすくなるそうです。
私の目には「衆参のねじれ」はいつの間にか争点として持ち出された感じでしたが世の中の趨勢はその辺りをどう見ていたのでしょう。

「ねじれ」は複数の院を持つ以上もともとごく普通に在り得るわけで、良かれと思って布いている二院制が良い社会を作れない理由だと言って争点にし実際に今回の選挙でそれを解消させたのですから 今後同じ轍を踏まないためにも次国会から現与党は先ず最初に日本を一院制にするように強く動き出すのでしょうか。

拙考ですが法が謳っている二院制の根拠には充分理があるように思えますし、その理を阻害しているのはむしろ社則レベルの各政党の党議拘束なのではないでしょうか。
社内の中だけであれば人事の力関係は明らかにあるでしょうから社則の縛りは相当に強いことも在り得るでしょう。

でも国民にとって議員は古参も新人もなく全て一議員であることが法の建前で 法の建前が最も尊重されなければならない場所で個別組織の人事の力関係のほうが強く機能してしまうことのほうがよほど問題だと思います。
自社の社則を省みることのない人に二院制を規定している法のことなど語って欲しくないなぁと。

ところで政党が自党の議員に党議拘束をかけなければならないと言うのは 多くの(特に大きな)政党にはそれぞれの政策について右から左、賛成から反対までの議員がいるからなのかと思います。数の勢力が欲しい政党と議員ポストが欲しい候補者とのお互い様同士、その意味では政党は政治団体というよりは選挙互助会として寄ってくる人を沢山抱えているのかもしれません。

そういう人は右の集まりに行けば右のことを、左の集まりに行けば左のことを、行く先々でウケの良いことを言うのでしょう。
だとしたら党は党として通したい議案があれば党議拘束をかけるでしょうし、そんな日和見議員にとっても党議拘束をかけられることが意に添えなかった支持者への方便にもなるのでしょう。


半年ぐらい前だったかな。
「国会議員白書」 http://kokkai.sugawarataku.net/ というウェブサイトを見つけました。
「全ての国会議員の公的活動を集約、記録、公表する」と紹介しています。

たぶんその後はネットの時代になってきたので紙の体裁のものは無くなったのだろうと思いますが2000年の衆議院選挙の直前には↓こんな本も出ました。

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衆院選立候補予定者および参議員の現職議員を政治家評定会議独自のアンケートによりおこなった調査からその理念と公約を公表した政治家ガイドブック。

地域ごとのブロックに分けて配列した衆院選候補者リストとアンケートおよび参議院現職議員アンケートを収録。

アンケートの内容は財政赤字再建、政治とお金、憲法、地球規模の環境破壊、住民投票、政治倫理について記号の選択あるいは優先順位によって回答。

各立候補者のデータとしては選挙区分、所属党名および派閥、議員歴等を掲載。

人物データは5月10日時点、回答は5月15日時点で回答済みのものによる。
また、巻末にはアンケート結果の主要政党別の反応等についてグラフで示したものなどの衆院選データを収録。
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今後議員さんの行動は第三者によってもっと記録され 立場や主張の一貫性や変節、時代の変化への対応力、それらが多くの人の目に触れる時代になるのでしょう。

上の本では政治家として常に答えを用意していないといけないであろう設問に「無回答」の人も散見されました。

本当に何も考えていないのかも知れないし、行った先々で違うことを言っているので こういう記録が残るところにはうっかり回答できないのかも知れません。

しかし いずれにしてもだんだんそういう人では議員になれない環境になってくることは間違いないのでしょう。

今回のねじれ解消でしばらくは大きな選挙は無いと言われていますが
先々 あと二回ぐらいの選挙後は世の中はずいぶんと変わるのではないかなと予感しています。



ところで上記のようなまとめサイト。
政治評論家や経済アナリストの言質のも出てきて欲しい。



2013-07-18

参院選雑感1

今週末は参議院議員選挙なのでその辺りの雑感を少し。

選挙については衆・参・地方を問わずあまり行かなかったことはありません。
投票の仕方としては積極的な支持政党は無いので その時々の世の中の風向きに倣うときもあれば、そのときどこかの政党に強い追い風が吹いていても自分の住む選挙区の顔ぶれを見て風向きと関係ない投票をするときもあります。また 顔ぶれにあまり好感を持てないときは白票もしばしばです。

どこかのアンケートで投票に行かない理由として「自分の1票でどうにかなるわけでもない」と言うのが結構目立つ回答だったそうで、実のところ私も考え方としてはかなりそう思っています。

しかし うっかり自ら乗ってしまったり流れ弾をかわしきれずに巻き込まれた居酒屋談義で「投票にも行かない奴が世の中のことに文句を言う権利は無い!」 なんてことを言われて内容以前のところで発言に蓋を被せられるのが一番面白くないんですね。

なので かなり消極的な理由ではありますけど
この屁理屈ディフェンスを無効化するためにもなるべく投票には行くようにしています。

幸い過去幾度かの引越しでも投票場はいつも自宅から徒歩5分圏内でした。
何年かに一度、行って帰って30分にも満たない手間を惜しむことで 現在や将来の自分にも降りかかるかもしれない社会問題について文句の一つも言いにくい立場に自らをしてしまうのがとにかく嫌なので投票には行きます。

若い皆さん。投票している年配者の皆が皆 社会のことを本気で憂いて誠実な一票を投じているわけではないと思いますよ。それどころか惰性や縁故だけで盲目的に投票している人も決して少なくない気もします。
少なくともそんな人たちから「投票にも行かない奴が世の中のことに文句を言う権利は無い!」なんて言われて発言する前から口を塞がれたくないじゃないですか。


ところで「投票にも行かない奴が世の中のことに文句を言う権利は無い!」はそもそも間違えているとも思うんです。

若い人が投票しない、投票者が年配層に偏っている、だから政治家は自らに投票してくれる年配層に向かった政治をする。
政治コメンテーター的な人からよく聞く論調で 実際にはそうかもしれません。

しかしこれを正論としたり実際の行政の根拠としてはいけないだろうと思うんです。

仮に「自らに投票してくれる」人たちが良い意味での積極的な政治参加者の層だったとしても 世に中には自分たちの層の代表を政治の世界に送り出せなかったり、出せたとしても分母集団が小さすぎて当選できなかったり、当選できても実際の政治に影響力を発揮できなかったりする層は少なくないと思います。
重度でレアな障害を持つ層だったり、参政権の無い外国籍だったり、参政権という意味では子供たちだってそうでしょう。社会全体の中にはもともと政治参加が出来なかったり困難な層があるのだと。

だから投票者が「若い人が投票しない、投票者が年配層に偏っている、」だったとしても投票によって当選した政治家は投票していない人も含めた社会全体が上手くいくようにしなければいけない責務を負っているのだと思います。

仮に多くの人が政治に失望して投票率10%、組織票のみの選挙だったとしても 当選者は投票していない人も含めた社会全体の政治をしなければならない責務を負っていることに変わりはないのだと。

奇麗事かも知れませんが影響力のあるメディアで発言場所をお持ちの政治コメンテーター的な人には 現実論とは別にそんなことも語って欲しいと思う今日この頃です。