2011-04-27

原発雑感(20110427)

被災地からは数百キロ離れたところに暮らす私が
ここでこういう風に書くことは我ながら唐突な気がします。

しかし我が家にも数回の停電が起こってみて初めて感じたことなどがありましたし、
身近なところでも非常にシリアスに受け止めている友人たちがいたり、
さらに友達の親戚ぐらいまで範囲を広げると避難地帯にお住まいで現在避難中の方もいたりして
私の立場でも原発について何も思わないというスタンスではいられないような気がしています。

ただ 学生時代から理系科目は(も?)全滅だった私が
ごく平凡なニュースソースで語られていることから判断して
今日現在思っていることなので まぁ その程度のこととして見ていただければ幸いです。


1.
アトムやサイボーグ009とか、ロボットアニメの初回放送をリアルタイムで見ていた身としては
科学技術に大きな明るい夢と未来を感じていた子供でした。

もちろん そんなアニメも お話や背景は「戦い」であることが多いですし、
現実の科学技術の進歩の歴史が戦争のための技術開発と重なっている場合が多いことも知ってはいました。
だから「○○のためには多少の犠牲は必要」なんていう「言い方」も知っていましたし
自分も世の中はそういうものだと思っていた時期もありました。

チョッと横道ですが、
今は「○○のためには多少の犠牲は必要」なんていう「言い方」は嫌いです。
○○は戦争とか正義とか開発とか…、
この言葉を言う人に
自分がその犠牲の当事者になるという想像があって言っていると感じる人に出会った記憶がありません。

タカ派政治家でも 自分が多くの兵隊や国民を死なせてしまう
「苦渋の決断をする司令官」になるかも という想像があっても
自分が個人的には何の恨みもない相手兵士を悪と見立てて
泥沼の中で殺したり殺されたりの戦闘をする当事者になるといった、
そういう想像があって言っているとは思えないんです。

で本題ですが、世に中「多少の犠牲」は是と(漠と)思っていた少年時代、
原発はいわゆる「人類の英知の結晶の一つで推進すべきもの」と見ていました。

そういえば 「巨人の星」もリアルタイムで見ていた子供でした。(また横道か?)
難しいコースに針の穴を通すコントロール。
そういう高度な技術を持つ主人公は実にカッコ良いもので、
現実の世界でもそういうレベルの技術に出会うと本当に驚くばかりで 
それを出来る人にはひたすら尊敬です。

ただ 「巨人の星」では1つの魔球が打ち崩されると
試合になるレベルのピッチングがまったく出来ない。
こういうAll or nothingはマンガではドラマチックで良いのでしょうけど、
現実のプロの仕事がそれでは困ってしまいます。

事故以来のニュースでの解説を見ていると
規模や安定性を維持しようと思うと 
原発の技術もたぶん「難しいコースに針の穴を通すコントロール」の一つだったのかなと思います。

一方 電気を使う道具は専門的な機械から家庭の中のごく平凡な道具まであります。
むしろ電気そのものが「社会や生活の隅々まで支える平凡な道具」と言ってもいいぐらいじゃないでしょうか。

だから針の穴を通すような高度な技術が実現できて、
それを行う人がどれほどカッコ良く尊敬できる存在に見えても
トラブルそのものやそれに起因する影響の大きさ、回復の難しさから 
そんな高度な技術で平凡な日常の基盤部分を支えるべきではない
と 今回起こったことを通じて実に身にしみて思いました。


2.
じゃあ 電力の需給はどうする?となると 
それなりの消費量がある当面は原発も不可避なのかもしれませんが
それはそれとしても 今までの原発とそれ以外の発電方法の開発への注力の仕方は
「生活の隅々まで支える平凡な道具の提供」という大命題に端的でなかったような感じがして、
そこに疑義が残る以上 いわゆる原発推進派の人たちの言い分を素直に聞けない自分がいます。

よく聞く設問で 新しい技術の開発者や素材の発見者、新しい表現を構築した芸術家とか
「もし 彼・彼女が生まれなかったらどうなっていたか」。

それらの技術も表現も無ければ無いだけで 
それ以前の過去に何か変化があるわけではないですから
後から考えれば何かが失われたような気がしますが、
実は何も変わらない それまで日常の営みが少し長く続くだけのことでしょう。
(遅かれ早かれ誰かが見つけるまで)

原発が作られなければ、(今から見れば)その分を差し引いた電力供給の社会が続いていたか
(原発ほどでなかったとしても)別の方法の発電分が加算された電力供給の社会で
世の中はそれに合わせた生活をしていて 何かが失われているとは感じないんじゃないでしょうか。

求めるから与える。
普通に「仕事」とはそういうものかも知れません。
しかし供給能力を上回る需要に応えようとすれば品質を落とすとか、
労働力を不当に搾取するとかで、
滅多には起こらない「イノベーション」以外はあまり正当な方法は無く、
今回の原発については供給者がカバーしきれない大き過ぎるリスクを溜め込むことで供給を可能にしていたのだと思います。

もはや原発が存在しなかった過去には戻れないですから
電力の需給については 発電の方法とともに社会としてそれなりの生活の仕方を考え出すのだと思います。
私個人としても不便過ぎない程度の節電に励むしかないのでそうします。

そして今回気になっていることがもう一つあります。


3.
件の原発から半径○(多分変わると思うので)kmの避難地域。
道路も封鎖され ただ避難せよ、避難しなければ10万円罰金(?)とか。

政府がどの程度の将来に在住者が自宅に戻れるかや
最終的にどういった保障を考えているのか たぶんまだ発表されていないと思います。

しかし洗濯物も取り込む間もないぐらいの勢いの避難指示が行われて
その上避難生活がかなり長期間になるとしたら 
手で持てる現金・預貯金以外のほぼ全ての財産を放棄しなさい
と言われているような状態ではないのでしょうか。

田舎のほうとは言え土地には値段があったでしょうし 地主と呼ばれる資産家もいたでしょう。
土地を担保にして事業をしていた人もいるでしょうし どの家だって中古で売りに出せばちゃんと値段のつく家だったでしょう。

しかし今後土地が放射能汚染された経歴があることになってしまうと
人間の健康に問題が無いレベルだと言ったとしても、
それ以前の資産価値には遠く及ばないものになるかもしれないし
今まで住んでいた世代が郷愁があって戻るとしても 
生産力の無い土地に新しい世代が入っていくのか、新しい事業が起こせるのか。

それに原発運営の当事者の言う「想定外」という言い方。
「想定外」と言ってしまうと 「有り得ない」はずのことが「想定外」ですが、
しかし実際に起こったのですから
他の50数基の原発が各所の想定内で安全だったとしても 
想定外はのことは有り得るということでもあります。
(UFOや心霊の写真だって「たった一例の絶対の本物」がありさえすれば
存否の論争は無くなりますものね。)

すると 今回の一例の事故とその対応の仕方で
他の50数ヶ所が何も起こらなくても土地の評価としては
自動的に避難地域と同じ状態や扱いになるんじゃないでしょうか。

原発はそれぞれの地元を支える重要な働き場所になっているのだとは思いますが
やはり既存施設も一~二世代を養う職場程度の移行時期を許容するとしても全廃の方向が良いのではと今は思っています。